最後の巨匠



先日(10月30日)、人類学者クロード・レヴィ=ストロースが亡くなりました。

1908年の生まれですから、戦前のベル・エポック時代から、実存主義時代、自らが代表した構造主義時代、そしてポストモダンの時代から現代にいたるまで、めまぐるしく変転してきたフランスの思想界を生き抜いたと言えるでしょう。
同時代のサルトルやメルロ=ポンティやカミュ、あるいはレヴィナスだけではなく、その次の世代のフーコーやドゥルーズ、デリダさえもすでに世を去るなか、まさに『最後の巨匠』と呼ぶにふさわしい威厳を保ち続けました。
去年の生誕100周年に関係して、いろいろな書籍が刊行され、催し物も行われたようですが、11月の末の101歳の誕生日を目前に、どこか潔く、きっかり満100年の人生を終えました。

Le Magazine Litteraire が増刊号(上写真)で特集していました。

目を引くのが、巻頭に掲載されている「1985年10月のインタヴュー」です。
当時の雑誌をそのまま写真で撮って載せているので、なんとなくタイムスリップして、
生前のレヴィ=ストロースの声を聞いているような気分に。

このインタヴューでは、レヴィ=ストロースが、
生まれたばかりの時から1985年当時に至るまで、
自身の生い立ちや、思想形成について、さまざまなエピソードを語っています。

面白かったのが、
1944年に、20歳くらいの頃に一緒に教育実習生をしていた、メルロ=ポンティの突然の訪問を受けたときのこと。

レヴィ=ストロースはサンパウロの大学に赴任し、フィールドワークをつづけた後、
戦争の激化に伴って、ニューヨークに亡命、このときはフランスに一時帰国していました。
かたやメルロ=ポンティは、『行動の構造』を世に問い、翌年には『知覚の現象学』を出版して、すでに大著『存在と無』を刊行していたサルトルとともに、実存主義運動の寵児になり始めていました。

レヴィ=ストロース「彼[メルロ=ポンティ]はアメリカに行きたがっていました。実存主義の時代です。だからその機会を利用して、聞いてみたんです。どんな感じなのか教えてよ、ってね。彼の言葉をそのまま言いますね。『これは、デカルトとかライプニッツとかカントの時代みたいに哲学をやりなおそうっていう試みなんだよ。』」
対話者「それを聞いて、あなたはどうお考えになりました?」
レヴィ=ストロース「何も。哲学にはもう興味はなかったんです。だから、実存主義って言われても・・・。」

血気盛んなメルロ=ポンティと、ちょっと引き気味のレヴィ=ストロース(笑)。
でも、この出会いののち、1959年に、ほかならぬメルロ=ポンティの強い推薦で、レヴィ=ストロースは念願のコレージュ・ド・フランス教授就任を果たします。
また、1961年に早すぎる死を迎えたメルロ=ポンティに、レヴィ=ストロースは『野生の思考』を捧げることになります。
こういったことを考えると、インタビューでのこの発言は、すでにこの世にいない友人に対する親密な冗談のように聞こえますし、なにかレヴィ=ストロースの茶目っけみたいなものを感じます。

そんな彼もついに鬼籍に入りました。
いまごろメルロ=ポンティたちと、どんな話をしているのでしょうか。

コメント

  1.  ブログ「映画的・絵画的・音楽的」の10日の記事に関連する事柄を書きましたので、読んでみて下さい。

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  2. コメントありがとうございます。
    トラックバックできないのは残念。

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