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耳を切り裂き、切迫するもの。言葉。

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先月の29日からパリでも公開されている「Extrmrly Loud & Incredibly Close」を観てきました。 詳しいレヴューはこちらをどうぞ。 → http://blog.goo.ne.jp/barriosmangre/e/65dc40050c10726dcf06f30562f08030 9.11を題材にした映画ということで、 興味深いと同時に、少し構えてしまう所もありましたが、 実際に観てみると、ヒューマン・ドラマ的な色彩が強く、意外にすんなり入り込めました。 多くの犠牲者を伴う大事件も、 骨格としては、僕らが生きている日常的な世界の一場面だし、 日々の些細な出来事のなかには、歴史的大事件と同じくらいの危機や混乱が含まれているのかも 知れないなと感じました。 上で紹介したブログでは、「鍵」をめぐる考察が目を引きます。 実際、この映画は鍵が主人公といっても良いかもしれません。 閉ざした扉を開ける、という行為は、 物語の開幕を告げるイメージもありますが、 と同時に、別の物語に向けて現在の物語を終幕させるようなイメージもあります。 また、鍵は一組の対(鍵穴と鍵)を想起させますが、、 その対が切り離されて、それぞれ別の場所に保管されることを前提にしています。 それはあたかも、一組のカップル、一組の人間関係のなかには、 二つの存在を結び付ける要素と、それを引き離す要素が常に混在しているという事実を 示唆しているようです。 連想ついでに言っておくと、鍵自身には特別な価値がなくても、 それが守っているものは、基本的には何らかの価値のあるものです。 そのことから、鍵はどこか、資本や言語を想わせるものがあります。 お金も言葉も、それ自体の価値よりも、それが流通することによって生まれる 剰余価値で成立していますが、鍵もまた、それ自体の金額よりも、 それが鍵穴と結びついたり離れたりすることによって、 箱の中に保管された大事なものを目に見えるようにしたり、 あるいは、永遠に手の届かないものにしてしまいもします。 映画の話に戻りますが、ネタばれ注意です。 これから観る予定のある方は、ご注意を。 ごく大まかに言って、この映画は、 オスカー少年と9.11事件で命を落としたその父との失われた関