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12月, 2009の投稿を表示しています

大晦日

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あと数時間で2009年も終わり、2010年が始まります。(この時点で、日本はすでに年が明けていますが。) クリスマスに、シャンゼリゼ通りに出てきました(写真)。 電飾も例年通りきれいで、人々も寒い中、ホットワインを飲んだり、何かおいしそうなもの(ホットドッグ的な)を食べたり、華やいだ雰囲気でした。 フランスでは(たぶん他のヨーロッパの国々も)、クリスマスが終わるとだいたいその年はおしまいみたいな雰囲気になって、その後の一週間(クリスマス休暇)を挟んで、新しい年に突入します。 だから家の近所も、なんとなく「お正月気分」。人も少なく、のんびりしています。 逆に繁華街は、年末年始を祝う人々で賑わっています。 そして今日は大晦日。31日です。 ラジオなどを聴いていると、イラクの連続テロ、アフガニスタンの自爆テロ、米旅客機テロ未遂、ナイジェリアでの武力衝突etc. 暗い話ばかりが飛び交っています。 ジョン・レノンの「Happy Xmas (War is Over) 」が、まるでそういった喧騒のBGMであるかのように、空しく響いています。 今年も、カンディンスキーやデ・キリコ、ロダンやマティスなど、いろいろな芸術家の作品を目にすることができました。 彼らの年譜を眺めながら思ったのは、そういった、今では「傑作」として美術館に陳列されて息をひそめている作品たちも、こういう混乱した現実世界のまっただ中で、迷ったり、希望を見出したりしながら、芸術家たちの思いを吹き込まれて生み出された、ひとつの名もなき願いのようなものだったのだ、ということでした。 2010年も、みなさんにとって、良い年でありますように。

「マティスとロダン」展@ロダン美術館

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ロダン美術館で『マティスとロダン』展という企画展をやっていたので、観に行ってきました。 → http://www.musee-rodin.fr/expomatisse.html アンリ・マティスとオーギュスト・ロダン。 両者ともに「踊る身体」をモチーフにした作品群が存在することは有名な事実かもしれませんが、この企画展は、二人の芸術家の関係が想像していたよりも奥深いものであることを示しています。 マティスと言うと、野獣派の時期にせよ、その後の切り絵的な作風の時期にせよ、赤や青や黄色や緑を模様のように、ぺたーんと画面に配置する画風が印象的ですし、『色彩の魔術師』などと呼ばれることもあるようですが、ロダンと言えば、迸る激情がそのまま形態を得たかのような、深く陰影に富んだ、ほとんど「漫画的」とすら思えるほど喜びや悲しみを具現化した作品を残した、近代彫刻の父。 一世代離れた二人(マティス1869年生、ロダン1840年生)の作風は、とかく対照的なものとして語られることが多いようです。 しかしながら、今回の企画展を観ていて、この対照性は単純な「断絶」ではなく、むしろ「交叉」や「対話」だったのではないか、と思いました。 企画展の冒頭には「デッサンへの情熱」と題されたセクションがあって、細長い廊下の右側にロダン、左側にマティスのデッサンが並べられているのですが、彫刻家のイメージが強いロダンが意外なほどに多くのデッサンを残しているという事実もさることながら、それらのデッサンが、驚くほどマティスのそれと接近しているということが印象的でした。 もちろん、対象の曲線を微細に滑らかに追うロダンの描線と、対象を幾何学的な図形に還元するようなマティスの描線はまったく異質なものですし、そもそも描かれた時期も隔たってはいるのですが、そうやって異なる二つの方法で、目に見えない同じモデルに近づいて行っているような、そんな感じを受けました。 ロダンは力強く隆々とした筋肉の質感や美しく丸みを帯びた曲線によって、マティスは大胆にデフォルメされ単純化された画面構成によって、両者はともに「動く身体」というモデルに近づこうとしていたように思えます(そのことは、「ダンス、平衡と跳躍」と題されたセクションで具体的に読み取れます)。 しかし彼らの問いは、見た目ほど単純なものではないような気もし

積もらない雪

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2009年も、あとわずか。 先日降った雪が、近所のアパルトマンの煙突に「載って」いました。気温が低すぎたせいか、「積もる」というよりは、氷結という感じで、路上も、ふかふかした積雪の感触などとはほど遠く、石畳は氷床と化し、滑る、滑る。 今年はRERの長期ストがあったり、メトロが故障して混雑が起きたり、ユーロスターもトンネル内で立ち往生したり、この雪の影響もあるのか、年の暮れにかけてパリの交通網はてんやわんや。 それでも年末だからか、外からは若者たちのご機嫌な歌声が聞こえてきたり。 悲喜こもごも、いろいろな思いを抱えたまま、 静かに、滑るように、2010年の幕開けが近付いてきます。

Roland Dyens

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ローラン・ディアンスのコンサートに行ってきました。 (右写真はその時に彼が座っていた椅子。ピンボケ注意。) ディアンスはチュニジア出身のギタリストです。 「クラシック」という枠にとらわれずに、民族音楽を中心に様々なジャンルの曲を演奏していますが、この日に演奏したソルの『マルボロの主題による序奏と変奏』などを聴く限り、古典の曲にも深い造詣を感じます。というか、古典>現代曲みたいな決めつけをせずに、クラシック曲もポピュラー曲も、「ディアンス」という芸術家の変奏曲であるかのように弾きこなしていて、演奏家とは、機械のように曲を正確に弾く人ではなく、過去の曲をその場で生きなおす機械なんだな、と考えたりしました。かつて存在したもののコピー機ではなく、原本を新たに作り出す逆コピー機のような。 では、そんなディアンスは、すごく強烈な個性の持ち主かというと、ちょっと違って、巨躯を狭い舞台で窮屈そうに揺らしながら、小声で、何やら冗談めかした会話を聴衆と交わしたり、会場の後ろの方でスタッフが「ガシャーン」と大きな音を立てたときも(←ありえない!)、演奏をやんわり止めてくすくす笑っていたり、何か「大家」めいたところは一切なく、ちょっとダンディで風変わりなおじさん(変なおじさんではなく)といった風貌をしていて、そんな彼が、その雰囲気のまま、鼻歌でも歌うように、ショパンやヴィラ=ロボスのピアノ曲からの編曲(明らかに難曲)をサラサラ弾いては、ささやき、超絶技巧満載の自作曲をずばっと弾いては、ささやき、…。 技術的に衝撃を受けたのは、何といても、弱音の多用です。クラシック・ギターは元来音量が出ない楽器ですから、それじゃあ聴こえないじゃないか、というと、そうでもなく、むしろ、パッセージが音もなく過ぎ去る感じがとても鮮やかで、そこに存在しない音を頭の中で補いながら、聴き手としての僕らも即興演奏に参加しているような、そうやって会場全体がゆるい波に浸されていくような、そして、穏やかさのなかを時にフォルテが轟きわたり、全体にリズムを与え、また過ぎていくといったような、そんな感覚。 とかく、大きい音が出せない=多くの客を呼べない楽器であるクラシック・ギターは、マス文化の中でマイナーな扱いを受けることが多いですが、小さな曲にどれだけの発想が詰め込まれているか、小さな一音にどれだけ多様な音色

審判は間違える

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またも例の話題で恐縮です。 別にこの路線(『サッカーの哲学』!?)を狙っているわけではないんですが(笑) 先日「France Info」のポッドキャストプログラムで、哲学者のミシェル・セール(Michel Serres 左写真)が、アンリの事件を取り上げて、面白い話をしていました。 まず、セールはこの事件の本質を「審判」に見ています。スペクタクルとしてのスポーツにおいて、審判とは、そこに暴力が介入するのを防ぐための存在だ、と彼は定義づけます。 確かに、ルールを体現する審判がいなければ、スポーツはタガが外れたただの感情のぶつかり合いになり、時間的にも、空間的にも収拾のつかないものになってしまうでしょう。 したがって、審判が自由に裁量を振るうということが、スポーツをスペクタクルたらしめるためには、ぜひとも必要な要素だということになります。 では、審判とは何か。審判の本質とは何なのか。普通に考えると、審判は試合に対して常に公平で、正しい判断を行う者のような気がします。しかしセールは、むしろ、間違えること(エラー erreur)こそ審判の本質だと主張します。「審判は謝りうるが故に、誤りうるのだ」。 いったい、どういうことなんでしょうか。 少し自分なりに考えてみます。 審判は試合の外から、それこそ僕らみたいにスロー映像を脇に、試合中の出来事を眺めることはできません。というのも、出来事の中に介入しつつ、選手間や監督陣、あるいは観客も含めた感情の流れをコントロールしつつ、そこに暴力が出現することを回避しなければならないからです。そうするためには、起こった出来事を後から論じる目線ではなく、当事者として起こりつつある出来事に参加するような目線が必要になるでしょう。 では、当事者とは何か。それは、出来事の中に巻き込まれているために、その由来や顛末を本質的には見通せない人のことだと思います。 審判が当事者的でなければならないということは、彼が本質的に「誤りうる」存在でなければならないということです。 そういう立場に身を置いているからこそ、試合の流れをうまく運んだり、ときにはぶち壊しにしたり(笑)できるわけです。 そうすると、審判の誤審は特別なことなどではなく、むしろ、スポーツが運営される上で、本質的に織り込まれている条件だということになるでしょう。 セールが言いたかったのは、およそ、そん

外国語としての日本語

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12月に入りました。 結構寒いな、と思っていても、道行く人びとが、シャツ一枚にコートの前を開けて颯爽と通り過ぎたりして、「皮膚の構造が違うな」と実感。 さっそく、去年知り合いが自慢していたユニクロの「ヒートテック」を、10月にオープンしたばかりのパリ支店に買いに走りました。 店内から溢れるほどの人の多さに驚きつつも、目的の品は無事にゲット。 もう一つ驚かされたのが、店員の丁寧な態度。 両手に商品を抱えてウロウロしていたら、レゲエ風の髪形をしたお兄さんがやって来て、「モシヨカッタラ、袋イカガデスカ?」。 便宜上カタカナで表記していますが、実に流暢な発音でした。 外国の方に日本語で話しかけられると、とっさにどう答えてよいか分からず、 できるだけはっきりとした発音で、「ありがとうございます」と返事しましたが、 何だか僕の方がたどたどしかったりして、奇妙な感じでした。 アメリカやフランス(特にパリ)の人は、外国人が自国語(英語やフランス語)を話しても驚かないし、むしろ当然だと思っていると聞きますが、日本人がそんな風に、外国人が話す日本語を当り前に受け入れる日は来るのでしょうか? 近い将来そうなるさ、という意見の人は多くないと思いますが、少なからぬ数のフランス人が、けっこう真剣に日本語を勉強しているのを見たり、当り前のように、「アリガトウゴザイマス」ときれいに発音したりするのに接するたびに、いちいち驚いてもいられないなあ、自然に応答してあげたいなあ、と思います。 いずれにせよ、どの国に行っても、どの国の人に対しても自分流を曲げない(と言われている)フランス人が、とても「日本人的に」仕事をしているのを見て、というかそもそもちゃんと仕事をしているのを見て、大きなインパクトを受けたんですが(失礼)、同日に、日本がユニクロとともに誇る無印良品(MUJI)にも行き、こちらも仕事は熱心に行っているものの、客あしらいとしては、通常通り(?)の「フランス人らしい」店員で、二つの企業の戦略の違いを垣間見た気がしました(大げさ)。