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大晦日

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あと数時間で2009年も終わり、2010年が始まります。(この時点で、日本はすでに年が明けていますが。) クリスマスに、シャンゼリゼ通りに出てきました(写真)。 電飾も例年通りきれいで、人々も寒い中、ホットワインを飲んだり、何かおいしそうなもの(ホットドッグ的な)を食べたり、華やいだ雰囲気でした。 フランスでは(たぶん他のヨーロッパの国々も)、クリスマスが終わるとだいたいその年はおしまいみたいな雰囲気になって、その後の一週間(クリスマス休暇)を挟んで、新しい年に突入します。 だから家の近所も、なんとなく「お正月気分」。人も少なく、のんびりしています。 逆に繁華街は、年末年始を祝う人々で賑わっています。 そして今日は大晦日。31日です。 ラジオなどを聴いていると、イラクの連続テロ、アフガニスタンの自爆テロ、米旅客機テロ未遂、ナイジェリアでの武力衝突etc. 暗い話ばかりが飛び交っています。 ジョン・レノンの「Happy Xmas (War is Over) 」が、まるでそういった喧騒のBGMであるかのように、空しく響いています。 今年も、カンディンスキーやデ・キリコ、ロダンやマティスなど、いろいろな芸術家の作品を目にすることができました。 彼らの年譜を眺めながら思ったのは、そういった、今では「傑作」として美術館に陳列されて息をひそめている作品たちも、こういう混乱した現実世界のまっただ中で、迷ったり、希望を見出したりしながら、芸術家たちの思いを吹き込まれて生み出された、ひとつの名もなき願いのようなものだったのだ、ということでした。 2010年も、みなさんにとって、良い年でありますように。

「マティスとロダン」展@ロダン美術館

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ロダン美術館で『マティスとロダン』展という企画展をやっていたので、観に行ってきました。 → http://www.musee-rodin.fr/expomatisse.html アンリ・マティスとオーギュスト・ロダン。 両者ともに「踊る身体」をモチーフにした作品群が存在することは有名な事実かもしれませんが、この企画展は、二人の芸術家の関係が想像していたよりも奥深いものであることを示しています。 マティスと言うと、野獣派の時期にせよ、その後の切り絵的な作風の時期にせよ、赤や青や黄色や緑を模様のように、ぺたーんと画面に配置する画風が印象的ですし、『色彩の魔術師』などと呼ばれることもあるようですが、ロダンと言えば、迸る激情がそのまま形態を得たかのような、深く陰影に富んだ、ほとんど「漫画的」とすら思えるほど喜びや悲しみを具現化した作品を残した、近代彫刻の父。 一世代離れた二人(マティス1869年生、ロダン1840年生)の作風は、とかく対照的なものとして語られることが多いようです。 しかしながら、今回の企画展を観ていて、この対照性は単純な「断絶」ではなく、むしろ「交叉」や「対話」だったのではないか、と思いました。 企画展の冒頭には「デッサンへの情熱」と題されたセクションがあって、細長い廊下の右側にロダン、左側にマティスのデッサンが並べられているのですが、彫刻家のイメージが強いロダンが意外なほどに多くのデッサンを残しているという事実もさることながら、それらのデッサンが、驚くほどマティスのそれと接近しているということが印象的でした。 もちろん、対象の曲線を微細に滑らかに追うロダンの描線と、対象を幾何学的な図形に還元するようなマティスの描線はまったく異質なものですし、そもそも描かれた時期も隔たってはいるのですが、そうやって異なる二つの方法で、目に見えない同じモデルに近づいて行っているような、そんな感じを受けました。 ロダンは力強く隆々とした筋肉の質感や美しく丸みを帯びた曲線によって、マティスは大胆にデフォルメされ単純化された画面構成によって、両者はともに「動く身体」というモデルに近づこうとしていたように思えます(そのことは、「ダンス、平衡と跳躍」と題されたセクションで具体的に読み取れます)。 しかし彼らの問いは、見た目ほど単純なものではないような気もし

積もらない雪

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2009年も、あとわずか。 先日降った雪が、近所のアパルトマンの煙突に「載って」いました。気温が低すぎたせいか、「積もる」というよりは、氷結という感じで、路上も、ふかふかした積雪の感触などとはほど遠く、石畳は氷床と化し、滑る、滑る。 今年はRERの長期ストがあったり、メトロが故障して混雑が起きたり、ユーロスターもトンネル内で立ち往生したり、この雪の影響もあるのか、年の暮れにかけてパリの交通網はてんやわんや。 それでも年末だからか、外からは若者たちのご機嫌な歌声が聞こえてきたり。 悲喜こもごも、いろいろな思いを抱えたまま、 静かに、滑るように、2010年の幕開けが近付いてきます。

Roland Dyens

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ローラン・ディアンスのコンサートに行ってきました。 (右写真はその時に彼が座っていた椅子。ピンボケ注意。) ディアンスはチュニジア出身のギタリストです。 「クラシック」という枠にとらわれずに、民族音楽を中心に様々なジャンルの曲を演奏していますが、この日に演奏したソルの『マルボロの主題による序奏と変奏』などを聴く限り、古典の曲にも深い造詣を感じます。というか、古典>現代曲みたいな決めつけをせずに、クラシック曲もポピュラー曲も、「ディアンス」という芸術家の変奏曲であるかのように弾きこなしていて、演奏家とは、機械のように曲を正確に弾く人ではなく、過去の曲をその場で生きなおす機械なんだな、と考えたりしました。かつて存在したもののコピー機ではなく、原本を新たに作り出す逆コピー機のような。 では、そんなディアンスは、すごく強烈な個性の持ち主かというと、ちょっと違って、巨躯を狭い舞台で窮屈そうに揺らしながら、小声で、何やら冗談めかした会話を聴衆と交わしたり、会場の後ろの方でスタッフが「ガシャーン」と大きな音を立てたときも(←ありえない!)、演奏をやんわり止めてくすくす笑っていたり、何か「大家」めいたところは一切なく、ちょっとダンディで風変わりなおじさん(変なおじさんではなく)といった風貌をしていて、そんな彼が、その雰囲気のまま、鼻歌でも歌うように、ショパンやヴィラ=ロボスのピアノ曲からの編曲(明らかに難曲)をサラサラ弾いては、ささやき、超絶技巧満載の自作曲をずばっと弾いては、ささやき、…。 技術的に衝撃を受けたのは、何といても、弱音の多用です。クラシック・ギターは元来音量が出ない楽器ですから、それじゃあ聴こえないじゃないか、というと、そうでもなく、むしろ、パッセージが音もなく過ぎ去る感じがとても鮮やかで、そこに存在しない音を頭の中で補いながら、聴き手としての僕らも即興演奏に参加しているような、そうやって会場全体がゆるい波に浸されていくような、そして、穏やかさのなかを時にフォルテが轟きわたり、全体にリズムを与え、また過ぎていくといったような、そんな感覚。 とかく、大きい音が出せない=多くの客を呼べない楽器であるクラシック・ギターは、マス文化の中でマイナーな扱いを受けることが多いですが、小さな曲にどれだけの発想が詰め込まれているか、小さな一音にどれだけ多様な音色

審判は間違える

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またも例の話題で恐縮です。 別にこの路線(『サッカーの哲学』!?)を狙っているわけではないんですが(笑) 先日「France Info」のポッドキャストプログラムで、哲学者のミシェル・セール(Michel Serres 左写真)が、アンリの事件を取り上げて、面白い話をしていました。 まず、セールはこの事件の本質を「審判」に見ています。スペクタクルとしてのスポーツにおいて、審判とは、そこに暴力が介入するのを防ぐための存在だ、と彼は定義づけます。 確かに、ルールを体現する審判がいなければ、スポーツはタガが外れたただの感情のぶつかり合いになり、時間的にも、空間的にも収拾のつかないものになってしまうでしょう。 したがって、審判が自由に裁量を振るうということが、スポーツをスペクタクルたらしめるためには、ぜひとも必要な要素だということになります。 では、審判とは何か。審判の本質とは何なのか。普通に考えると、審判は試合に対して常に公平で、正しい判断を行う者のような気がします。しかしセールは、むしろ、間違えること(エラー erreur)こそ審判の本質だと主張します。「審判は謝りうるが故に、誤りうるのだ」。 いったい、どういうことなんでしょうか。 少し自分なりに考えてみます。 審判は試合の外から、それこそ僕らみたいにスロー映像を脇に、試合中の出来事を眺めることはできません。というのも、出来事の中に介入しつつ、選手間や監督陣、あるいは観客も含めた感情の流れをコントロールしつつ、そこに暴力が出現することを回避しなければならないからです。そうするためには、起こった出来事を後から論じる目線ではなく、当事者として起こりつつある出来事に参加するような目線が必要になるでしょう。 では、当事者とは何か。それは、出来事の中に巻き込まれているために、その由来や顛末を本質的には見通せない人のことだと思います。 審判が当事者的でなければならないということは、彼が本質的に「誤りうる」存在でなければならないということです。 そういう立場に身を置いているからこそ、試合の流れをうまく運んだり、ときにはぶち壊しにしたり(笑)できるわけです。 そうすると、審判の誤審は特別なことなどではなく、むしろ、スポーツが運営される上で、本質的に織り込まれている条件だということになるでしょう。 セールが言いたかったのは、およそ、そん

外国語としての日本語

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12月に入りました。 結構寒いな、と思っていても、道行く人びとが、シャツ一枚にコートの前を開けて颯爽と通り過ぎたりして、「皮膚の構造が違うな」と実感。 さっそく、去年知り合いが自慢していたユニクロの「ヒートテック」を、10月にオープンしたばかりのパリ支店に買いに走りました。 店内から溢れるほどの人の多さに驚きつつも、目的の品は無事にゲット。 もう一つ驚かされたのが、店員の丁寧な態度。 両手に商品を抱えてウロウロしていたら、レゲエ風の髪形をしたお兄さんがやって来て、「モシヨカッタラ、袋イカガデスカ?」。 便宜上カタカナで表記していますが、実に流暢な発音でした。 外国の方に日本語で話しかけられると、とっさにどう答えてよいか分からず、 できるだけはっきりとした発音で、「ありがとうございます」と返事しましたが、 何だか僕の方がたどたどしかったりして、奇妙な感じでした。 アメリカやフランス(特にパリ)の人は、外国人が自国語(英語やフランス語)を話しても驚かないし、むしろ当然だと思っていると聞きますが、日本人がそんな風に、外国人が話す日本語を当り前に受け入れる日は来るのでしょうか? 近い将来そうなるさ、という意見の人は多くないと思いますが、少なからぬ数のフランス人が、けっこう真剣に日本語を勉強しているのを見たり、当り前のように、「アリガトウゴザイマス」ときれいに発音したりするのに接するたびに、いちいち驚いてもいられないなあ、自然に応答してあげたいなあ、と思います。 いずれにせよ、どの国に行っても、どの国の人に対しても自分流を曲げない(と言われている)フランス人が、とても「日本人的に」仕事をしているのを見て、というかそもそもちゃんと仕事をしているのを見て、大きなインパクトを受けたんですが(失礼)、同日に、日本がユニクロとともに誇る無印良品(MUJI)にも行き、こちらも仕事は熱心に行っているものの、客あしらいとしては、通常通り(?)の「フランス人らしい」店員で、二つの企業の戦略の違いを垣間見た気がしました(大げさ)。

冬到来

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午後7時ころ。 橋の上からセーヌ川を。 遠くに小さく見えるのが、エッフェル塔です。 夏は10時くらいまで明るかったことを思うと、いよいよ冬だなと実感。 透明度を増した大気のなかを、車も人々も足早に通り過ぎていきます。

スターの悲劇

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今回で三回目(たぶん最後)のアンリ「神の手」ネタ。 成り行きでけっこう追ってしまいました。 さて、先日のW杯予選プレーオフ第2戦にて、手を使ってフランスに「恥ずべき勝利」をもたらした「ヒーロー」に、救いの手は差し伸べられたのでしょうか? 「Equipe」紙に、彼の心中がにじみ出たインタヴューが掲載されています。 「試合の翌日も、そのまた翌日も、僕は孤独で、本当に独りぼっちだと感じていた。僕が(再試合を求める)公式声明を発表してから、やっと一度だけフランスサッカー連盟が連絡してきた。」 代表引退を考えたか、との質問に対して。 「もちろん、考えた。金曜日になって、すべてのことに対して距離ができて、やっと元気が戻ったけどね。(…)最近起こったあれやこれやで、僕は打ち捨てられたと感じたけど、僕が代表を見捨てるなんてことはないよ。」 彼は自分の行為を後悔しているのでしょうか。 「場合によっては、ゴールの後に喜びを爆発させてしまったのは、非難されることかもしれない。(…)そんなこと、しなければよかったんだ。でも率直に言って、コントロールすることなんで出来なかった。これまで僕らが耐えてきたことを考えたらね…。」 「ただ、起きてしまったことは重荷になっていくだろう。いつだって許すことはできても、常に忘れることができるわけじゃないから。」 家族や友人のサポートは別にして、フランス人の公式見解は、いまだに「過ちを犯した人気者」に厳しいものが多いようです。サルコジ大統領のアイルランド首相への謝罪をはじめとして、アンリの「いかさま」は公認の事実にすら見えます。 でも、個人的には、ハンド自体は反則だとしても、その後のアンリの振る舞いやコメントはむしろ、フェアプレーに属するんじゃないかと思っています。 相手のアイルランド代表主将ロビー・キーンもコメントしている通り、同じく主将という立場で、これだけ世論が敵対的ななか、自らの反則を認め、再試合を要求するというのは、なかなかできることじゃないと思います。 また、イングランド代表主将を務めた経験もあるデビッド・ベッカムも、アンリは「いかさま師」などではないし、W杯の予選は何が起こるか誰にも分からない極限の状況なんだと強調しています。 その他にも、アーセナル監督アーセン・ヴェンゲル、テニス界からもロジャー・フェデラー

栄光なき勝利

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昨日、アイルランドとのプレーオフを制し、2010W杯本選出場を決めたフランスですが、同点ゴールの際のアンリのハンドが国内外で話題を呼んでいます。 アイルランド国民の怒りは理解できます。 試合内容からいっても、明確なコンセプトのもとに、持てる力を出し切って戦うアイルランド代表に対して、アンリとアネルカの能力だけに頼った戦術ゼロのフランス代表は、どうひいき目に見ても、「勝利に値する」チームではなかったことは、事実だ思います。 そんなフランス代表の唯一の得点がハンド絡みともなれば、アイルランド代表を応援する人たちは、それは怒るでしょう。 ただ、フランス国内においても、アンリのこのプレーに対しては批判的な声が多いのが少し気になります。 哲学者のフィンケルクロートも、ラジオで「遺憾な勝利だ」と述べていましたし、その他にも、「美しい手(ハンド)だ」と揶揄するキャスターや、「(予選突破に)満足してもいいが、誇りには思えない」とコメントするキャスターもいたりして、とにかく、アンリに対する風当たりの強さを感じます。 「Le Monde」紙の記事の一部を引用します。 街の片隅の小さな盗みがいつも警察の目を逃れるように、アンリのハンドがいつも世界中の審判の目を逃れてくれるといいのだが。サッカーはスポーツであり、スポーツは正しくあるために存在するわけではない。最もよい選手が勝つわけでもないし、最も倫理的な選手が勝つわけでもない。審判の過ちもあれば、コーチングの間違いもある(ドメネク監督はそのスペシャリストだ)。ドーピングする選手もいれば、いかさまをする選手もいる。さて、これらのことはそんなに深刻な問題だろうか? すごい皮肉ですね(笑)。アンリは窃盗犯、あるいはいかさま師呼ばわりです。 当のアンリは、「ハンドはあったよ。でも僕は審判じゃない。だからプレーを続けたんだ。」と、反則を認めています(これも開き直りのセリフと受け取られているようですが)。 まあ、実際に試合をテレビで観ていた僕も、一瞬、「アンリ、何やってんだよ!」と心の中で叫びましたが、その後のアンリの複雑な表情や、試合後にアイルランド代表の選手のもとに声をかけに行っている様子などを見て、「ああ、アンリも傷ついているのかな」と思い直しました。 僕は一サッカーファンの目で、「いろいろあるよね」と思うだけですが

W杯予選突破。神の手?

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w杯予選プレーオフ第2戦。 サルコジ大統領も駆けつけるほどの注目の一戦。 先の第一戦で「1-0」とアウェーにて先勝していたフランス代表は、ホームでのこの試合では「1-1」の引き分けで、総合して「2-1」。予選突破です。 敵地でのアドバンテージを手に、楽な試合展開になるかと思われたフランス代表でしたが、けが人の影響か、ちぐはぐなプレーに終始します。 特に試合序盤で味方DFにひじ打ちを食らわせ退場させてしまったSBエブラを始め、MFグルキュフもパスミスの嵐。GKロリス(上写真)の好守に再三助けられるものの、中盤が全く構成できないまま、前半32分、アイルランドのFWロビー・キーンがサイドからの折り返しを見事に合わせてゴール。このまま試合は、90分経過、総合点で同点のため、延長に突入します。 さすがに両チーム走り疲れたか、中盤のつなぎを飛ばした長いボールの応酬のなか、延長前半終了間際、事件が起きます。セットプレーからの混戦からFWアンリ(下写真)の折り返しを最後はギャラスが押し込んでゴール!試合はこのまま終了し、劇的な延長ゴールでW杯予選突破のフランスに歓喜の嵐! …なんですが、よく見ると、ギャラスへの折り返しの際、アンリの手にボールが当たっています。。。審判は見えなかったか、ハンドとは見なさなかったか、分かりませんが、ビデオで見る限りは、明らかにハンド。フランスを応援し、アンリ贔屓の私の目から見ても、これはもう絶対ハンド。必死でゴールの取り消しを訴えるアイルランド代表の選手たちを見て、ちょっとかわいそうになりました。 でも、試合終了後、チームメイトと喜びを分かち合いながらもどこか浮かない様子のアンリが、へたり込んでいるアイルランド代表の選手の横に座り、何か言葉を交わしているシーンが映し出されて、何というか、上手くいかない今のフランス代表を背負って戦っている彼の苦悩とか、激闘の相手を尊重するような気持とか、ただ勝ちたいという必死な思いとか、ハンドを見逃されてしまったことへの少しの恥ずかしさとか、意地とかプライドとか、後ろめたさとか疾しさとか、とにかくいろいろ感じてしまいました(感情移入しすぎ)。 兎にも角にも、ジダンを中心とした黄金期の記憶を背負いながらも、新しいチームを作っている真っ最中のフランス代表。けがで離脱中のFWリベリが戻ってくればま

まずは先勝!

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2010年のW杯に向けてのプレーオフ。 敵地での第一戦にて、フランス代表がアイルランド代表に、まず一勝を挙げました。 下馬評では不利とされていたアイルランドですが、サポーターに後押されるように、凄まじい気迫でフランス代表を苦しめます。 かたやフランス代表も、中盤まで下がってゲームを組み立てるアンリ(写真右)を中心に、徐々にペースを掴んでいきます。 試合が動いたのは後半25分過ぎ。アネルカ(写真左)のシュートが相手DFの足に当たって、軌道が変わり、ゴールネットを揺らすと、試合はそのままホイッスル。GKギブンを中心に好守を続けていたアイルランド代表でしたが、これはどうにもなりませんでした。 見た目はかなりワイルドながら意外なほどに繊細なテクニックを併せ持つアネルカの、苦労人の彼らしいと言えば彼らしい、技ありなゴール。ゴール後のパフォーマンスで、誰にも追いつけないほどのスピードで仲間の祝福の手をすり抜けていく彼の姿に、アンリとはまた別の「愛嬌」を感じました。 それにしても、期待の若手グルキュフも、まだまだ成長途中、ベンゼマに至っては試合にすら出れない状況。32歳のアンリと30歳のアネルカに、ここまで頼り切りでいいのか、無事に本選出場しても(プレーオフに回っている時点で「無事」じゃないですが)、勝ち上がっていけるのか、ちょっと心配にもなった試合でした。 18日には、今度はフランス・ホームで第2戦です。 どうなることやら。

最後の巨匠

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先日(10月30日)、人類学者クロード・レヴィ=ストロースが亡くなりました。 1908年の生まれですから、戦前のベル・エポック時代から、実存主義時代、自らが代表した構造主義時代、そしてポストモダンの時代から現代にいたるまで、めまぐるしく変転してきたフランスの思想界を生き抜いたと言えるでしょう。 同時代のサルトルやメルロ=ポンティやカミュ、あるいはレヴィナスだけではなく、その次の世代のフーコーやドゥルーズ、デリダさえもすでに世を去るなか、まさに『最後の巨匠』と呼ぶにふさわしい威厳を保ち続けました。 去年の生誕100周年に関係して、いろいろな書籍が刊行され、催し物も行われたようですが、11月の末の101歳の誕生日を目前に、どこか潔く、きっかり満100年の人生を終えました。 Le Magazine Litteraire が増刊号(上写真)で特集していました。 目を引くのが、巻頭に掲載されている「1985年10月のインタヴュー」です。 当時の雑誌をそのまま写真で撮って載せているので、なんとなくタイムスリップして、 生前のレヴィ=ストロースの声を聞いているような気分に。 このインタヴューでは、レヴィ=ストロースが、 生まれたばかりの時から1985年当時に至るまで、 自身の生い立ちや、思想形成について、さまざまなエピソードを語っています。 面白かったのが、 1944年に、20歳くらいの頃に一緒に教育実習生をしていた、メルロ=ポンティの突然の訪問を受けたときのこと。 レヴィ=ストロースはサンパウロの大学に赴任し、フィールドワークをつづけた後、 戦争の激化に伴って、ニューヨークに亡命、このときはフランスに一時帰国していました。 かたやメルロ=ポンティは、『行動の構造』を世に問い、翌年には『知覚の現象学』を出版して、すでに大著『存在と無』を刊行していたサルトルとともに、実存主義運動の寵児になり始めていました。 レヴィ=ストロース「彼[メルロ=ポンティ]はアメリカに行きたがっていました。実存主義の時代です。だからその機会を利用して、聞いてみたんです。どんな感じなのか教えてよ、ってね。彼の言葉をそのまま言いますね。『これは、デカルトとかライプニッツとかカントの時代みたいに哲学をやりなおそうっていう試みなんだよ。』」 対話者「それを聞いて

チョコレートの展覧会

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秋の恒例、Salon du Chocolat に行ってきました。 フランスは「サロン・ド・何とか」が大好きで、 有名なところでは、Salon du Vin 「ワイン展示会」がありますが、 ほかにも、Salon de l'Etudiant 「学生の(ための)展示会」、 あるいは、Salon du Livre 「本の展示会」、 はたまた、Salon du Marriage 「結婚(に関する)展示会」などなど、 メトロの地下道を歩いていると、いろいろな「サロン」のポスターを目にします。 サロンという言葉には、なんだか少し素敵な響きがあって、 文学サロンなんて、ちょっと秘密めいていて、 いったいどんな会話が交わされているのか、 どんな人たちがどんな服装で集まっているのか、すごく空想が膨らみます。 絵画の世界でも、公式のサロンから拒絶された作品を集めた、 Salon des Refuses「落選展」で、マネの『草上の昼食』が話題をさらって、 そののちの絵画史を画する事件になったり、 とにかく、フランスの文化史に欠かせない要素、サロン。 まあ現代日本人としては、サロンとカタカナで書くと、 「日焼けサロン」「エステサロン」「脱毛サロン」などの方が先に来ますが。 しかも、この3つ、フランス人にかけているものばかりな気が・・・。 深く追求するのはやめておきますが。 さて、会場に入ると、有名デザイナーがデザインした、 チョコレートでできた(?)洋服がずらり並んでいて、異様です。 チョコレートでできたオペラ座もありましたが、 正直、インパクトはこちらの方が強かったです。 会場には、フランスだけではなく、スイスやスペインなど、 各国から集結したショコラティエが所狭しと軒を連ねていて、 油断して試食しまくっていると、結構すぐにお腹がいっぱいになります。 チョコレートばかりそんな食べられないよ、というお客さんの反応を見越してか、 会場の中央の特設ステージでは、メキシコ人のダンサーが踊ったり、 巨大なチョコレートケーキを席に座っている人たちに切り分けたり、 お客さん入り乱れてのブラジル・ダンス大会になったり、なかなか賑やかでした。 チョコレートの洋服を眺め、 スペインのチョコレート(ナッツぎっしり

Vampire Weekend

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いまさらですが、今年の夏の収穫と言えば、 Rock en Seine というフェスで Vampire Weekend を観れたことです。 このどことなくあか抜けないニューヨーク発の4人組。 ボーカル兼ギター、ベース、ドラム、キーボードというシンプルな編成。 ライブは、オーディエンスも踊り狂い、文字通り熱狂の渦でした。 彼らの1stアルバムから、フランスも歌詞に登場する一曲です。 (訳はかなり適当です。間違っていたら教えてください。) 「子供じゃチャンスを手にできない」(The Kids Don't Stand The Chance) 破壊的な背泳ぎで、 はるばるフランスから。 きらきら輝くカフスボタン、 袖に漂う高品質。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 踊りを踊りにやって来る。 純エジプト産の絹をまとって。 子供じゃチャンスを手にできないんだよ。 君たちは練習は嫌だと言う。 計画は台無しにする。 歴史を無視して、 そんなものにロマンはないと言う。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 踊りを踊りにやって来る。 4000万ドルの札束! 子供じゃチャンスを手にできないのさ。 私だって仕事は好きじゃなかった。 でもそれは最初のうちだけだったな。 いまのところ君たちの枕はふわふわだ。 でもそれでも君たちは進んでいかなければいけないね。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 仕事仲間もダンスに夢中。 撃ち抜かれた札束が宙に舞う。 子供じゃチャンスを手にできないんだろ。