冬到来 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 11月 27, 2009 午後7時ころ。 橋の上からセーヌ川を。 遠くに小さく見えるのが、エッフェル塔です。 夏は10時くらいまで明るかったことを思うと、いよいよ冬だなと実感。 透明度を増した大気のなかを、車も人々も足早に通り過ぎていきます。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
Vampire Weekend 10月 15, 2009 いまさらですが、今年の夏の収穫と言えば、 Rock en Seine というフェスで Vampire Weekend を観れたことです。 このどことなくあか抜けないニューヨーク発の4人組。 ボーカル兼ギター、ベース、ドラム、キーボードというシンプルな編成。 ライブは、オーディエンスも踊り狂い、文字通り熱狂の渦でした。 彼らの1stアルバムから、フランスも歌詞に登場する一曲です。 (訳はかなり適当です。間違っていたら教えてください。) 「子供じゃチャンスを手にできない」(The Kids Don't Stand The Chance) 破壊的な背泳ぎで、 はるばるフランスから。 きらきら輝くカフスボタン、 袖に漂う高品質。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 踊りを踊りにやって来る。 純エジプト産の絹をまとって。 子供じゃチャンスを手にできないんだよ。 君たちは練習は嫌だと言う。 計画は台無しにする。 歴史を無視して、 そんなものにロマンはないと言う。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 踊りを踊りにやって来る。 4000万ドルの札束! 子供じゃチャンスを手にできないのさ。 私だって仕事は好きじゃなかった。 でもそれは最初のうちだけだったな。 いまのところ君たちの枕はふわふわだ。 でもそれでも君たちは進んでいかなければいけないね。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 仕事仲間もダンスに夢中。 撃ち抜かれた札束が宙に舞う。 子供じゃチャンスを手にできないんだろ。 next >>
ゴッホが最後に見た風景 10月 03, 2010 パリ近郊の街、オーベール=シュル=オワーズに行ってきました。 → Auvers-sur-Oise ゴッホやセザンヌゆかりの街として有名で、 彼らの作品のモデルになった風景が今も点在しています。 駅前 パリ市内から、RERで約1時間ほど。 「ゴッホが死の間際に逗留していた街」として、 さぞかし観光地化されているかと思いきや、 街中、絵画のモデルになった場所にそれを示すプレートがある以外は、 ごく普通の落ち着いた街という印象でした。 落ち着いた街並みでありながら、 一つ一つの家が、 すごく個性的で素敵でした。 もちろん、ゴッホが息を引き取った部屋が今も残されているラヴー亭や、 彼の主治医であり、絵のモデルにもなったガシェ医師の家など、 散策の目玉になる場所もありますし、 なにより、名画が描かれた場所に赴き、そこから景色を眺めると、 画家たちの創造性の源泉に触れているような、不思議な気分になります。 ↓ ゴッホ 『オーベールの教会』 ↓ セザンヌ 『 オーヴェール= シュル=オワーズの首吊りの家 』 (中央やや左の建物) こうして実際の風景を見てみて思うのは、 画家たちが、目に映る風景を、かなり凝縮して画布に描いているということです。 ゴッホの教会も、セザンヌの首吊りの家も、 まるでそこだけ他とは違う重力が奥に向かって働いているかのような、 あるいは、建物が、狭い穴を無理やりこじ開けて出現してきたかのような、 そんな印象を受けます。 それはきっと、画家の風景に対する集中というか、没入の力強さでもあり、 また同時に、彼らに対する風景の存在感というか、切迫の力強さでもあるのでしょう。 彼らは、ただ事物が「ある」ということを、 まるで異世界の出現といったような、 途轍もない出来事として受け取っているかのようです。 街の静けさと、画家たちの作品の迫力には、 どこか謎めいた符号があるのかもしれません。 何の物音もしない夜明け前の街が、 いつもと異なる表情を垣間見せるように。 しばらく散策していると、 いつの間にか、一匹の黒い犬が、まるで道案内するように前を歩いていました。 その後、パリに戻るために駅に着いて気が付くと、姿が見えなくなってしまったのですが、 もしかし... next >>
変化を見ることーベレニス・アボット 4月 05, 2012 Jeu de Paume 美術館で開かれている、 『Berenice Abott(1898‐1991)Photographies』に行ってきました。 ニューヨークとパリを跨いで活躍した写真家だけあって、 平日にもかかわらず長蛇の列ができるほどの人気でした。 ベレニス・アボットはアメリカの女性写真家で、 「Changing New York」という1930年代のマンハッタンを写したシリーズで有名です。 都市の写真家といえば、 20世紀初頭のパリを写したウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugene Atget,1857-1927)が有名ですが、 アボットは晩年のアジェに会い、その際に撮ったポートレートも展示されていました。 彼女にとって、アジェの作品群は、都市を写真に収める際のお手本のようなものだったようです。 とはいえ、アジェの写真(上)が比較的静かな風景なのに対し、 アボットの写真(下)からは、日々刻々と変化しつつある都市のノイズが響いてくるようです。 20世紀を横断するアボットの人生は、 同時に、科学技術が戦争に向かって爆発的に展開していく時期でもあり、 世界が人工的な光に満ち溢れていく時代でもあります。 自ら「光があまりなかった」と語る出生地(オハイオ州)から、 30年代のマンハッタン、50年代のMITにおける科学実験撮影に至るまで、 世界はますます「可視化」されていきます。 それはとりもなおさず、写真撮影が簡略化し一般化して行く過程でもあります。 視覚そのものが急激に変化した時代といってもいいでしょう。 彼女が残した作品群には、そういった根本的な変化の爪痕を感じることができます。 アボットは1921年にヨーロッパに渡り、1923年からマン・レイのもとで写真を始めます。 写真だけではなく、彼女の人生そのものが、この時代のパリの活気を表しています。 初期の仕事は主にポートレイト作品です。 下の写真などは、ジャン・コクトー独特の遊び心と、 写真を含めたアート作品の軽さ(生)と儚さ(死)を見事に切り取っているように感じます。 アボット自身が良く撮れていると語っていたのは、ジェイムズ・ジョイスのポートレイトです。 『ユリシーズ』等の作品を書き終え、おそらくすでに『フィネガンズ・ウェイク』執... next >>
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