冬到来 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 11月 27, 2009 午後7時ころ。 橋の上からセーヌ川を。 遠くに小さく見えるのが、エッフェル塔です。 夏は10時くらいまで明るかったことを思うと、いよいよ冬だなと実感。 透明度を増した大気のなかを、車も人々も足早に通り過ぎていきます。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
ゴッホが最後に見た風景 10月 03, 2010 パリ近郊の街、オーベール=シュル=オワーズに行ってきました。 → Auvers-sur-Oise ゴッホやセザンヌゆかりの街として有名で、 彼らの作品のモデルになった風景が今も点在しています。 駅前 パリ市内から、RERで約1時間ほど。 「ゴッホが死の間際に逗留していた街」として、 さぞかし観光地化されているかと思いきや、 街中、絵画のモデルになった場所にそれを示すプレートがある以外は、 ごく普通の落ち着いた街という印象でした。 落ち着いた街並みでありながら、 一つ一つの家が、 すごく個性的で素敵でした。 もちろん、ゴッホが息を引き取った部屋が今も残されているラヴー亭や、 彼の主治医であり、絵のモデルにもなったガシェ医師の家など、 散策の目玉になる場所もありますし、 なにより、名画が描かれた場所に赴き、そこから景色を眺めると、 画家たちの創造性の源泉に触れているような、不思議な気分になります。 ↓ ゴッホ 『オーベールの教会』 ↓ セザンヌ 『 オーヴェール= シュル=オワーズの首吊りの家 』 (中央やや左の建物) こうして実際の風景を見てみて思うのは、 画家たちが、目に映る風景を、かなり凝縮して画布に描いているということです。 ゴッホの教会も、セザンヌの首吊りの家も、 まるでそこだけ他とは違う重力が奥に向かって働いているかのような、 あるいは、建物が、狭い穴を無理やりこじ開けて出現してきたかのような、 そんな印象を受けます。 それはきっと、画家の風景に対する集中というか、没入の力強さでもあり、 また同時に、彼らに対する風景の存在感というか、切迫の力強さでもあるのでしょう。 彼らは、ただ事物が「ある」ということを、 まるで異世界の出現といったような、 途轍もない出来事として受け取っているかのようです。 街の静けさと、画家たちの作品の迫力には、 どこか謎めいた符号があるのかもしれません。 何の物音もしない夜明け前の街が、 いつもと異なる表情を垣間見せるように。 しばらく散策していると、 いつの間にか、一匹の黒い犬が、まるで道案内するように前を歩いていました。 その後、パリに戻るために駅に着いて気が付くと、姿が見えなくなってしまったのですが、 もしかし next >>
カメラ、盗み見る視線 6月 06, 2010 ロンドンのテイト・モダン美術館で、 『Exposed』という企画展を観てきました。 → Exposed-Voyeurism-Surveillance-Camera 『晒されたもの、覗き見、監視、カメラ』というタイトルからも分かるように、 写真の本質を「盗み見ること」のうちに見出そうという、いささかショッキングで挑発的なテーマです。 いわゆる「盗撮」は、一般的には、写真という技術を悪用したものであり、 カメラの本質は、盗み見ることなどではなく、 堂々と目の前に広がる風景を写しとることだと思われています。 しかしながら、目の前に広がる風景を写すときに、カメラという人工物の介在が、 すべてのバランスを狂わせてしまうということがしばしば起こります。 特に人物の撮影において、彼や彼女の「自然な」表情を捉えるためには、 非常に高度なテクニックが必要だということは、周知のことでしょう。 目の前の風景を、そのまま「写す」ためには、写している主体であるカメラの存在が、 その風景からできる限り差し引かれなければならないのではないでしょうか。 写真の本質が「自然を写すこと」だとすると、 カメラはできるだけその存在を消さねばならないことになります。 こう考えていくと、写真の本質が「盗み見ること」にあることが分かってきます。 実際、今回の企画展が示す通り、 カメラの発明とほぼ同時期に、盗撮のための道具が発明されています。 この Walker Evans による写真も、 カメラの存在を気付かせないことによって、1930年代のニューヨークの地下鉄に乗る人々の「自然な」表情を捉えています。 さて、「自然な」風景を気付かれずに盗み見たいという欲望は、 秘められた事実を暴きたいという欲望と密接に結びついています。 そこに、ダイアナ妃をはじめとする著名人を執拗に追いまわし、 平均的な市民には手の届かない彼らの生活を隠し撮りする、 パパラッチと呼ばれる人々の行いがあります。 カメラの大衆への普及や新聞等のマスメディアの発達によって、 この傾向は近年ますます強まっていると言えるでしょう。 またこの欲望は、 いわゆるポルノ写真に対する欲望とも関係しているでしょう。 公共の視線からは隠され秘められた「女性の裸体」を写すと next >>
Vampire Weekend 10月 15, 2009 いまさらですが、今年の夏の収穫と言えば、 Rock en Seine というフェスで Vampire Weekend を観れたことです。 このどことなくあか抜けないニューヨーク発の4人組。 ボーカル兼ギター、ベース、ドラム、キーボードというシンプルな編成。 ライブは、オーディエンスも踊り狂い、文字通り熱狂の渦でした。 彼らの1stアルバムから、フランスも歌詞に登場する一曲です。 (訳はかなり適当です。間違っていたら教えてください。) 「子供じゃチャンスを手にできない」(The Kids Don't Stand The Chance) 破壊的な背泳ぎで、 はるばるフランスから。 きらきら輝くカフスボタン、 袖に漂う高品質。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 踊りを踊りにやって来る。 純エジプト産の絹をまとって。 子供じゃチャンスを手にできないんだよ。 君たちは練習は嫌だと言う。 計画は台無しにする。 歴史を無視して、 そんなものにロマンはないと言う。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 踊りを踊りにやって来る。 4000万ドルの札束! 子供じゃチャンスを手にできないのさ。 私だって仕事は好きじゃなかった。 でもそれは最初のうちだけだったな。 いまのところ君たちの枕はふわふわだ。 でもそれでも君たちは進んでいかなければいけないね。 ピンストライプの男たちが、明け方に。 仕事仲間もダンスに夢中。 撃ち抜かれた札束が宙に舞う。 子供じゃチャンスを手にできないんだろ。 next >>
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